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NODA・MAP第12回公演「ロープ」★千秋楽★ [演劇]

NODA・MAP第12回公演「ロープ」 [演劇]  
■NODA・MAP第12回公演「ロープ」
作・演出:野田 秀樹
出演:宮沢 りえ/藤原 竜也/渡辺 えり子/宇梶 剛士/橋本 じゅん/三宅 弘城/松村 武/中村 まこと/明星 真由美/明樂 哲典/AKIRA/野田 秀樹
会期:2006年12月5日(火)〜2007年1月31日(水)
場所:Bunkamuraシアターコクーン
http://210.150.126.198/shokai/cocoon/lineup/shosai_06_rope.html
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□story
ところは、四角いジャングル、プロレスリング。 そのリングの下に棲みついている女。彼女は、未来からやってきたと信じている。そして、不可解なほどに実況中継が上手かった。リングの上には、「プロレスは決して八百長ではない」と思いつめている独りのレスラーがいる。思いつめたあまり、引きこもっている。その二人の出会いが、物語のはじまり。やがて彼女は、戦う人間たちの「力」を実況し始める。その一方で、引きこもりのレスラーは、「力とは人間を死体に変えることのできる能力だ」という信念にとりつかれていく。そして、物語は遠い遠い未来へと向かっていく。だのに、この話は、決してサイエンスフィクションではありません。未来の話なのにSFではない物語。
(公式サイトより引用)

□impression
行ってよかった。千秋楽。
12月に観劇した時とは打って変わって舞台が変容していた。

▼1回目の観劇12月23日
http://blog.so-net.ne.jp/apollon/2006-12-23

正直なところ、1回目を観劇した際はっきりと真実をつかみ得ることができなかった。

今回プロレスのリングに比喩される
八百長であることからその作られたものの真実を探るところと
今ここで観劇しているリアルな自分との関連性を見いだせなかったことにある。

今思うに「物事の真実の単純化と定点化される大衆」。
そこに隠される人物関係、そしてひとりの人間の中に存在する二面性が肝だったように思う。
正にそれが『あったことをなかったことにする。なかったことをあったことにする。』の言葉に集約されるテーマでもある。

劇中あった
『漫画、プロレスに比喩された擬音語が、物事の真実を単純化し、
その奥に潜む真実は大衆には届きもしない。
また視聴率というわかりやすい反応が見える代わりに
定点化される大衆。』

野田さんの作品に代表される特徴である、一人の役者が数パターンの役を演じること。
それが今回は目に見えずして、一人の人間が自分の中で2パターンの役を交錯ながら演じていたのではないかと感じる。
「ユダヤ人の社長」は宮沢りえ演ずるタマシイ以外の人間に情報操作を仕掛ける存在。
ただしその姿は架空であり、本当は誰なのかはわからない。
これが、現代における戦争から、ドメスティックバイオレンスに至るまでの力の君臨する場所であった。
それを人ごととして観ている自分が真実を封印しているのか、
真実をわからないままに、真実を知るかのごとく虚を演じる自分がいるのか。
今更にしてやっと、身近に追随してくるテーマであったことに気づかされる。

今回の戯曲ではプロレスの覆面で顔を隠すという、
公的な場にしての秘匿性も巧みに表現されている。
それは今実際にブログを書く自分というところにもつながるごく身近なことでもあり、
思考によって作られた自分の存在にもしっくり当てはまる事実でもある。

野田さんの作品のもう一つの特徴である、社会的な事象と結びつく現代劇であるところは生身で表現者を感じたいと思う一因である。
舞台の役者と観客という立場を隔てて伝わるに、少なからずその過程で受け手は解釈を単純化することもある。それを経ても社会的な事象をこれほどまでに身近な感情に訴える作品に出会えたことは今までになかったように思う。

また、劇中大きなハプニングが2回もおこったことは大いに楽しむことができた。
本作品に至ってはそれが生身の人間を観ているというところを観客感じさせる演出としての要因もあったのでは?とも思う。(飛躍しすぎか?)実際ハプニングがおこった後の藤原くん、そして野田さんの素で楽しそうなところに観客としてほほえましく思ったし、それをアドリブでフォローしきる渡辺えり子さんの役者としての余裕は観ていて気持ちがよかった。

総括して、今回の千秋楽は肩肘張らないソフトな空気感が漂っていた。
それは特に派手でもなく、静粛でもなくて。

カーテンコール時のリズミカルな拍手に乗って感慨が押し寄せて、
これからも断固として、生身で野田さんを追い続けようと思った。









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コメント 2

いっちゃん+

千秋楽に立ち会えたなんて、うらやましいです。
役者さんたちの達成感からあふれる表情は、千秋楽に勝るものはないですからね。

>それを人ごととして観ている自分が真実を封印しているのか、
>真実をわからないままに、真実を知るかのごとく虚を演じる自分がいるのか

非常に端的にまとまってて素晴らしいです。
「ユダヤ人の社長」という単語に妙にはまり込んでいる人が多いので気になってました。ここにはまる思考は、きっと自分じゃない他の誰かが犯人だという「犯人捜し」の思考でしかないと思うのです。
もっとも、この思考過程に「自分」はまったく姿を現さないのかもしれませんが。
どこかの新聞メディアがCMで言っている「ジャーナリスト宣言」も良いこと言っていると思うんですけどねぇ(笑)
by いっちゃん+ (2007-02-02 18:11) 

nakashi

★いっちゃん+さん
なるほど、『犯人探しの思考』という観点はおもしろいですね。人が気づかぬうちに演じる自分とはその過程から生じるのかもしれません。
そう思うと日常に於いて、力の存在する場所をうまく表現することには、殊更悩みますね(^^;)
by nakashi (2007-02-03 01:49) 

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