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7/29 16:00〜「THE BEE」NODA・MAP番外公演 千秋楽 [演劇]

7/29 16:00〜「THE BEE」NODA・MAP番外公演 千秋楽

「THE BEE」NODA・MAP番外公演 ロンドンバージョン
原作:筒井康隆~「毟りあい」(新潮社)より~
脚本:野田秀樹/コリン・ティーバン
演出:野田秀樹
出演:キャサリン・ハンター/トニー・ベル/グリン・プリチャード/野田秀樹
会期:2007年06月22日(金)~2007年07月29日(日)
場所:シアタートラム
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2007/06/thebee.html
http://www.nodamap.com/02thebee2/gaiyou.htm
---------------------------------------------------------------------------------
□summary
筒井康隆の短編「毟りあい」を、野田秀樹とアイルランド人作家コリン・ティーバンが戯曲化し、昨年のロンドン初演で大評判となった注目の舞台が日本初登場。初演時と同じく野田が自ら演出・出演を担うのはもちろん、今回は新鮮な顔合わせの日本人キャスト版とロンドン初演時のキャスト版を連続上演します。
(シアタートラムサイトより引用)

□impression

日本語バージョン1回、
ロンドンバージョン2回目の千秋楽。

台詞はもとより、劇中の神妙なリズムを感じながらに観劇した。

印象的だったのは、1回目でその大きな存在感を捉えるに足らなかった
“百々山(どどやま)”の刻むリズムである。

最後の儀式のオーバーラップ、
百々山の思考リズムは下記のように体現された。

◎右手に指左手にハンカチ
  ↓
◎リズムにあわせて揺曳
  ↓
◎舞台を左から右へ
  ↓
◎舞台を右から左へ(途中で帽子を取り、頭を一拭き)
  ↓
◎思考の切り替え。

この一連のリズムが、
3/4拍子の音楽と真紅の舞台と相まって、
能動的とも受動的ともとれるような、絶妙な浮遊感を醸していた。

一見重々しい風貌の百々山が、ややもすると
地面から足が浮いて飛んで行ってしまうのではないか、そんな虚像がクリアに見えた演出だった。

あまりにも静かに終わってしまうラスト、
身近にあるようだが無い現実が最後に灯る、そんな印象を持った。



7/22 19:30〜「THE BEE」NODA・MAP番外公演 [演劇]

「THE BEE」NODA・MAP番外公演 ロンドンバージョン
原作:筒井康隆~「毟りあい」(新潮社)より~
脚本:野田秀樹/コリン・ティーバン
演出:野田秀樹
出演:キャサリン・ハンター/トニー・ベル/グリン・プリチャード/野田秀樹
会期:2007年06月22日(金)~2007年07月29日(日)
場所:シアタートラム
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2007/06/thebee.html
http://www.nodamap.com/02thebee2/gaiyou.htm
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□summary
筒井康隆の短編「毟りあい」を、野田秀樹とアイルランド人作家コリン・ティーバンが戯曲化し、昨年のロンドン初演で大評判となった注目の舞台が日本初登場。初演時と同じく野田が自ら演出・出演を担うのはもちろん、今回は新鮮な顔合わせの日本人キャスト版とロンドン初演時のキャスト版を連続上演します。
(シアタートラムサイトより引用)

□impression

近年観たお芝居の中で
確実に5本の指に入る、印象的な芝居でした。

かつてロンドンにて公演がなされた時から
待ちに待った・・・「THE BEE」ロンドンバージョン。

目下に広がる舞台美術が
日本バージョンと全く異なり、
鏡面に赤色が反射した、美しくも冷酷に燃えたぎる有様を感じました。

もちろん今回最も期待に胸を躍らせていたのは、
生 “キャサリン・ハンター” にお目にかかれること。

でてきた瞬間に、“怪物女優”としての威厳、
小柄で筋張った、軽快な身のこなしにやられた。 この辺は野田さんに近しいものを感じる。

逆輸入のこのお芝居で、
キャサリンに代われる日本の女優がいるのかと想像するのは、
あまりに酷すぎる。。

日本バージョンよりも鮮明に
印象に残った場面は、
最後の儀式での井戸、小古呂の妻、百々山。

ここでは、透き通った鏡面の裏に百々山が見えるのですが、
鏡面であるがゆえに、百々山が複数人差し迫ってくるようにも見えました。
そして、客席のわたしたちもいつのまにか、鏡面ごしに、舞台の上にいるわけです。

いつだかのインタビューで野田さんは、
暴力の連鎖への説明は極力カットしたという類いの話をしていましたが、
確かに説明はないのです。
いとも淡々と井戸、小古呂の妻、百々山が儀式をなし、
壁にボールをぶつけると、必ずそれは返ってくるというような。
行為自体に身を任せると、自分の存在自体、認識があやうくなり、
行為に則った連鎖が続く。
それって確かに説明を付けること事体がナンセンスなのかもしれない、、

だが連鎖するからこそ、現実として終わり得ない。

だから結果として、記憶に残る芝居。
説明し得ない・・・となったようにも思います。

身近に潜む問題であるからこそ、
なかなか記憶から離れませんし、蘇ってきますね。
「THE BEE」。

★P.S.
ハチャトリアンの「剣の舞」をパロっていた、あの気になる曲、
どうやら・・・

歌:尾藤イサオ
作詞:なかにし礼

だそうです。

**************************
好きか嫌いか 嫌いか好きか
はっきり言いなよ 今すぐ目の前で
惚れてしまえば 男は弱い
奴隷か騎士か 囚われ人の身か
それに較べて お前は素敵
ペルシャの女王か トルコの姫君か
**************************

や、やばい。耳からこの歌が離れず・・・・
こりゃぁ買いでしょう。。 

指す〜指す〜指〜すぅ〜〜〜♪

伊集院光選曲 おバ歌謡

伊集院光選曲 おバ歌謡

  • アーティスト: オムニバス, 神谷勝也, ドン神谷, 白木みのる, ローレン中野, 和田弘, マヒナスターズ, 尾藤イサオ, 由美かおる, GAL
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2004/06/16
  • メディア: CD


6/29 19:30〜「THE BEE」NODA・MAP番外公演 [演劇]

「THE BEE」NODA・MAP番外公演 日本バージョン
原作:筒井康隆~「毟りあい」(新潮社)より~
脚本:野田秀樹/コリン・ティーバン
演出:野田秀樹
出演:野田秀樹/秋山菜津子/近藤良平/浅野和之
会期:2007年06月22日(金)~2007年07月29日(日)
場所:シアタートラム
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2007/06/thebee.html
http://www.nodamap.com/02thebee2/gaiyou.htm
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□summary
筒井康隆の短編「毟りあい」を、野田秀樹とアイルランド人作家コリン・ティーバンが戯曲化し、昨年のロンドン初演で大評判となった注目の舞台が日本初登場。初演時と同じく野田が自ら演出・出演を担うのはもちろん、今回は新鮮な顔合わせの日本人キャスト版とロンドン初演時のキャスト版を連続上演します。
(シアタートラムサイトより引用)

□impression

戯曲をはじめて読んだ時同様、
「残る」「ひっかかる」という
印象の強い芝居であったように思う。
効果的な音響が今でもふと聞こえてくるような気がして
それに追随する映像が鮮明に蘇ってくる。

先立ってロンドンにて公演されたときとは全く別物として
演出を施された舞台だそうだ。

目下には舞台全面を覆うかのような大きな模造紙がぶら下げられ、
その紙を街の中、壁面、家具等に見立てて、話が展開される。

野田秀樹演ずる井戸以外のキャストは1人で数役を
入れ替わり立ち代わり演じ、
はじめはその滑稽な有様に客席からも笑いが漏れるが、
徐々にそれは緊張の走る儀式へと転じていく。

被害者から悪人へと転ずる井戸が、加害者である小古呂のその妻に発する抑圧と
それに従わざるを得ない妻の有様。
または、犯人の小古呂と井戸。
力で抑圧し合うことの連鎖が続いていく。

この部分は
戯曲を読んだ際、女性として解釈するには非常に辛く、
これが舞台ではどのように表現されるのか…期待をしていた部分でもある。
案の定、舞台上ではいとも冷淡に刻々とその儀式が表現されていた。

かつて、『痴漢に対し、声をあげない女性が悪い』という意見をメディアに発した男性に対して
なんとも胸くその悪い思いをしたことがあった。

それが、今回の舞台における『蜂』の存在、
井戸が異常なほどに恐怖を示すものとは、
抑圧された恐怖の象徴なのではないかということに
少し繋がったような気がした。

そう思えた事で、『恐怖』ということに対し、少しの安堵感と普遍さを感じた。





「THE BEE」(戯曲)-野田秀樹+コリン・ティーバン [演劇]

新潮 2007年 07月号に「THE BEE」の戯曲が掲載。
後半部の舞台の作りはどうなるのだろう。。。期待は膨らむ。

日本バーションとロンドンバージョンの配役が楽しみ!!
なので、、、ちょっとまとめておきます。



新潮 2007年 07月号 [雑誌]

新潮 2007年 07月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/06/07
  • メディア: 雑誌

新潮 2007年 01月号 [雑誌]

新潮 2007年 01月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/12/07
  • メディア: 雑誌


藪原検校 [演劇]

藪原検校
作:井上ひさし
演出:蜷川幸雄
音楽:宇崎竜童
出演:古田新太/田中裕子/段田安則/六平直政/梅沢昌代/山本龍二/神保共子/松田洋治/景山仁美/壤晴彦
会期:2007年5月8日(火)〜31日(木)
場所:Bunkamuraシアターコクーン
http://210.150.126.198/shokai/cocoon/lineup/07_yabu/index.html
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□story
時は今から二百年ほど遡る江戸中期の享保、塩釜の地。小悪党の魚売り七兵衛は、醜女だが無類に気立てのよいお志保を嫁にもらい一旦は改心するが、女房のお産の金欲しさに行きずりの座頭を殺して金を奪う。が、生まれてきた男の子は盲だった。「座頭をひとり減らしてまたひとり殖やしただけだ」とめぐる因果の恐ろしさに、七兵衛は自害する。生まれた子は、塩釜座頭・琴の市に預けられ杉の市という名前をもらう。手癖が悪く手が早い杉の市は、十三で女を知り、師匠の女房のお市にまで手をつける始末。ある日、難癖をつけて金を巻き上げようとする佐久間検校と言い争ううち、検校の結解(けっけ=目明きの秘書のこと)を刺してしまう。別れを告げに寄った母の家で、誤って母を刺し、駆け落ちしようとお市と共謀して師匠琴の市を殺すが、お市は瀕死の琴の市の返り討ちにあう。
一人になった杉の市は師匠から盗んだ金を携えて江戸に向かい、門下生になるために学者・塙保己市の元を訪れる。晴眼者以上に品性を磨くことを目指す塙保己市が、万事が金と考える杉の市を弟子にするわけもない。
その後、藪原検校に弟子入りし、貸し金の取立てで見る間に頭角をあらわす杉の市。そして二度目の主殺しをし、念願だった二代目藪原検校の襲名披露の日、彼の前に立ちふさがる影が………。
(公式サイトよりそのまま引用)

□impression
「天保十二年のシェイクスピア」に続き、
井上ひさし×蜷川幸雄×宇崎竜童が再結集!の舞台。

8日初日にしっかり観ていたにもかかわらず、
今更レビューです。

ここ最近、ゆるりゆるりと鑑賞をすすめた中でも
なかなかパンチの効いた舞台でした。

古田新太の、古田新太による、古田新太のための・・・
といっても過言ではないほどに、
初日とは思えないほどの完成度で
存分に笑わせてもらいました。

スムーズで心地よいナレーションや、
ギリシャ悲劇でいうところの舞踊合唱隊(コロス)のような掛け合いに
よって進行する話の展開により、
話の根源にある因果を含んだ憎しみや嫉妬が軽妙に語られ、
それが尚更に杉の市(古田新太)の孤独を表現するようで、
後半部は杉の市に同情心さえも抱きました。

こうあってこその生で観る価値。
心底思えた舞台でした。

お次は、野田地図(NODA・MAP)番外公演『THE BEE』!です。



写楽考 [演劇]

■写楽考
作:矢代静一
構成・演出:鈴木勝秀
出演:堤真一/高橋克実/長塚圭史/キムラ緑子/七瀬なつみ/西岡徳馬
会期:2007年4月5日(木)〜4月29日(日)
場所:Bunkamuraシアターコクーン
http://210.150.126.198/shokai/cocoon/lineup/shosai_07_sharaku.html
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□story
時は、天明4年(1784年)、江戸八丁堀の八軒長屋。同じ一つ屋根の下、目指す画風の違いから何かとぶつかる絵師見習いの「伊之」と「勇助」。そこへ転がり込んできた世直し浪人「幾五郎」。青春を謳歌する3人の若者。
しかし彼らの人生が、やがて一人の女の死を境に豹変する。

ーー月日は流れて寛政6年(1794年)。勇助は「多喜川歌麿」となって一世を風靡していた。その歌麿人気をしのぐ勢いで登場した謎の絵師「東洲斎写楽」。さて、写楽とはそもそも何者か? 彼がその人生に背負った運命とは?

ーーさらに月日は流れて天保元年(1830年)、信州は沓掛村。そこには、二人の浮世絵師と過ごしたかつての日々をしのぶ滑稽本作家「十返舎一九」の姿があったーー。

□impression
写楽と歌麿という同じ時代を生きた二人の天才を軸とした、人物模様を語るストーリー。

個々のキャラクター設定も明瞭で、展開もスムーズ。
そして高所暗みから聞こえる太鼓、笛の音色が、
その淡々とした演出に粋なパンチを醸していた。

人物相関を簡単にまとめると。。。
--------------------------------
★伊之(後の写楽)
 朴訥と血潮を感じさせる男。

★勇助(後の歌麿)
 真面目で繊細、冷静な常識人。

★浪人幾五郎(後の十返舎一九)
 のんきで大らか、陽気で調子がよい。

★店のおかみであるお加代
 お色気満載、熟女のしたたかさをもつ、肉欲的な奔放女。地位や金もある。

★捨て子のお米
 生真面目で幼く、要領の悪さと、割り切りの良さを見せるいじらしい存在。
--------------------------------
若い二人の芸術家の心を翻弄するお加代。
お加代は勇助に心惹かれるが、伊之の体をむさぼり、
そして自分の生んだ赤ん坊の始末に困って捨てる(後のお春)、、
最終的に交わったままに、死ぬことを望む、、、

勇助はお加代の死体を見た途端、猛然と絵を描き始める。
後々、頭角をあらわし名声を得る歌麿。

その後、俗世から姿を消していた写楽の作品が、世に現れ、評価が高まる。
死を目前に、完全にやつれた様子を見せながらも制作に没頭する写楽。

舞台は一転、
春の田園風景に変わる。(驚きを隠せない演出。。。)
そこにはお春と十返舎一九。
そして、たくさんの孫にかこまれるお米ばあさんを遠くに眺める。
ほのぼのと、人間の生き様を見守るような終幕。

ストーリーそのものの展開が単純明快であったせいか、
十返舎一九演じる、カツミさんの、
よい意味でのテキトー具合?がこの物語の調子をとっていた。

その、ナレーター的存在でもあったカツミさん含め
全体的に観やすかったことは確かであるが、
いわゆるテレビ的というか、
受動的な見方をしがちな舞台であることは否めない。

舞台美術がいかにも2D的であったところの改善要望含め、
感情移入ができる&想像を掻き立てるという意味での
舞台体験を考えるきっかけを掴んだ舞台。

久々レビューに苦戦。。
お次は『薮原検校』だ!!


NODA・MAP第12回公演「ロープ」★千秋楽★ [演劇]

NODA・MAP第12回公演「ロープ」 [演劇]  
■NODA・MAP第12回公演「ロープ」
作・演出:野田 秀樹
出演:宮沢 りえ/藤原 竜也/渡辺 えり子/宇梶 剛士/橋本 じゅん/三宅 弘城/松村 武/中村 まこと/明星 真由美/明樂 哲典/AKIRA/野田 秀樹
会期:2006年12月5日(火)〜2007年1月31日(水)
場所:Bunkamuraシアターコクーン
http://210.150.126.198/shokai/cocoon/lineup/shosai_06_rope.html
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□story
ところは、四角いジャングル、プロレスリング。 そのリングの下に棲みついている女。彼女は、未来からやってきたと信じている。そして、不可解なほどに実況中継が上手かった。リングの上には、「プロレスは決して八百長ではない」と思いつめている独りのレスラーがいる。思いつめたあまり、引きこもっている。その二人の出会いが、物語のはじまり。やがて彼女は、戦う人間たちの「力」を実況し始める。その一方で、引きこもりのレスラーは、「力とは人間を死体に変えることのできる能力だ」という信念にとりつかれていく。そして、物語は遠い遠い未来へと向かっていく。だのに、この話は、決してサイエンスフィクションではありません。未来の話なのにSFではない物語。
(公式サイトより引用)

□impression
行ってよかった。千秋楽。
12月に観劇した時とは打って変わって舞台が変容していた。

▼1回目の観劇12月23日
http://blog.so-net.ne.jp/apollon/2006-12-23

正直なところ、1回目を観劇した際はっきりと真実をつかみ得ることができなかった。

今回プロレスのリングに比喩される
八百長であることからその作られたものの真実を探るところと
今ここで観劇しているリアルな自分との関連性を見いだせなかったことにある。

今思うに「物事の真実の単純化と定点化される大衆」。
そこに隠される人物関係、そしてひとりの人間の中に存在する二面性が肝だったように思う。
正にそれが『あったことをなかったことにする。なかったことをあったことにする。』の言葉に集約されるテーマでもある。

劇中あった
『漫画、プロレスに比喩された擬音語が、物事の真実を単純化し、
その奥に潜む真実は大衆には届きもしない。
また視聴率というわかりやすい反応が見える代わりに
定点化される大衆。』

野田さんの作品に代表される特徴である、一人の役者が数パターンの役を演じること。
それが今回は目に見えずして、一人の人間が自分の中で2パターンの役を交錯ながら演じていたのではないかと感じる。
「ユダヤ人の社長」は宮沢りえ演ずるタマシイ以外の人間に情報操作を仕掛ける存在。
ただしその姿は架空であり、本当は誰なのかはわからない。
これが、現代における戦争から、ドメスティックバイオレンスに至るまでの力の君臨する場所であった。
それを人ごととして観ている自分が真実を封印しているのか、
真実をわからないままに、真実を知るかのごとく虚を演じる自分がいるのか。
今更にしてやっと、身近に追随してくるテーマであったことに気づかされる。

今回の戯曲ではプロレスの覆面で顔を隠すという、
公的な場にしての秘匿性も巧みに表現されている。
それは今実際にブログを書く自分というところにもつながるごく身近なことでもあり、
思考によって作られた自分の存在にもしっくり当てはまる事実でもある。

野田さんの作品のもう一つの特徴である、社会的な事象と結びつく現代劇であるところは生身で表現者を感じたいと思う一因である。
舞台の役者と観客という立場を隔てて伝わるに、少なからずその過程で受け手は解釈を単純化することもある。それを経ても社会的な事象をこれほどまでに身近な感情に訴える作品に出会えたことは今までになかったように思う。

また、劇中大きなハプニングが2回もおこったことは大いに楽しむことができた。
本作品に至ってはそれが生身の人間を観ているというところを観客感じさせる演出としての要因もあったのでは?とも思う。(飛躍しすぎか?)実際ハプニングがおこった後の藤原くん、そして野田さんの素で楽しそうなところに観客としてほほえましく思ったし、それをアドリブでフォローしきる渡辺えり子さんの役者としての余裕は観ていて気持ちがよかった。

総括して、今回の千秋楽は肩肘張らないソフトな空気感が漂っていた。
それは特に派手でもなく、静粛でもなくて。

カーテンコール時のリズミカルな拍手に乗って感慨が押し寄せて、
これからも断固として、生身で野田さんを追い続けようと思った。









朧の森に棲む鬼 [演劇]

■朧の森に棲む鬼
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
出演:市川染五郎/阿部サダヲ/秋山菜津子/真木よう子/高田聖子/粟根まこと/小須田康人/田山涼成/古田新太/他
会期:2007年1月2日(火)〜27日(土)
場所:新橋演舞場
http://www.shochiku.co.jp/play/enbujyo/0701/index.html
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□story
野良犬のようにギラギラとした目の男が、シャレコウベを踏みつけ歩いていく。そこは累々たる屍に埋まる深い森。「王の座を欲しくないか、おまえの命と引き替えに」突然現れた森の魔物《オボロ》の声が、その男の運命を変えた。
……「おもしれえ」。男の武器は、魔物にもらった「オボロの剣」。そしてありとあらゆる嘘を生み出す、赤い舌。放たれる無数の言葉は果たして正か邪か、善か悪か。そして告げる想いは、愛か、それとも憎しみか。嘘で染まった真っ赤な舌が、裏切りと憎悪の無間地獄を作り出し、そして「オボロの剣」が、緑の森に赤い血を降らしていく——。
『血よ。オボロの森を真っ赤な嘘に染め上げろ! それが俺の、生きる証だ——。』
(e+より引用)

□impression
あーけーーまーーーしーーーてーーー
おめでとドーーーーーーーーーーーーーーン!!!!
(ドラゴンボールのカメハメハに匹敵するね☆)
・・・・である。
ド派手、ド派手。新春にふさわしい・・・

新年初舞台で染様の眉無メイクの色気に拝めるなんて、幸せすぎる。
おまけに秋山ねえさんにうっとり…なんて幸先よすぎる幕開である。

※前述しますが…染様と秋山ねえさんびいきで観劇してますのであしからず。

今回のツボはライ(染様)が、将軍になるまでの悪の成長っぷりである。
衣装・所作が目に見えて変わっていく様は観ていてとても気持ちイイ。
スピードを感じられる立ち回りも美しい。
染様、1舞台で何着お着替えなさいました??
↑映画『プラダを着た悪魔』に近い感覚に思う。

ド派手ながらに舞台転換がスムーズに行われ、
ライに相乗して周りがどんどん変わっていく。
おそらくゆっくり眺めていたら、節々の荒さもありそう…だが
どんどん勢いで流しちゃえばそれもよ〜し!!である。

後半のライ(染様)とツナ(秋山ねえさん)の絡みは逸脱。
ライに憎しみを持つツナと、愛と憎悪は似通うと掛け合うライ。
正にエロティックバイオレンス。
ツナは最後まで心の内を見せなかったんだけど、
そこが艶っぽくてステキだったなぁ。
私が、男性だったならば完全に惚れたと思う。
こう思わせられる役づくりがほんとにうまい!
“飽き止まない女”恐るべし。

休憩含め4時間弱の長い舞台でしたが、
スピード感&笑い&艶っぽさ、もろもろ楽しかった。
早くDVD欲しいぞ〜!!


NODA・MAP第12回公演「ロープ」 [演劇]

■NODA・MAP第12回公演「ロープ」
作・演出:野田 秀樹
出演:宮沢 りえ/藤原 竜也/渡辺 えり子/宇梶 剛士/橋本 じゅん/三宅 弘城/松村 武/中村 まこと/明星 真由美/明樂 哲典/AKIRA/野田 秀樹
会期:2006年12月5日(火)〜2007年1月31日(水)
場所:Bunkamuraシアターコクーン
http://210.150.126.198/shokai/cocoon/lineup/shosai_06_rope.html
---------------------------------------------------------------------------------
□story
ところは、四角いジャングル、プロレスリング。 そのリングの下に棲みついている女。彼女は、未来からやってきたと信じている。そして、不可解なほどに実況中継が上手かった。リングの上には、「プロレスは決して八百長ではない」と思いつめている独りのレスラーがいる。思いつめたあまり、引きこもっている。その二人の出会いが、物語のはじまり。やがて彼女は、戦う人間たちの「力」を実況し始める。その一方で、引きこもりのレスラーは、「力とは人間を死体に変えることのできる能力だ」という信念にとりつかれていく。そして、物語は遠い遠い未来へと向かっていく。だのに、この話は、決してサイエンスフィクションではありません。未来の話なのにSFではない物語。
(公式サイトより引用)

□impression
待ちに待った新作。いってきました。

ファーストインプレッションは、
あ、野田さん男役なのね!!!

周り舞台の上にかなり傾斜ついた木のプロレスのリングが設置され、
薄暗くしてかなり質素。
ストーリー全体としても他作品テイストと比べるに、割と内容がすんなり入ってくるような、整理された印象。野田さんの作品の中ではかなりテーマを理解しやすい作品なのではないでしょうか。その分観客として何をメッセージとして捉えられるのか、というところでは正直不完全燃焼のままさぐっていた感が残りました。

想像していたよりも・・・なんだろう、
第三者として傍観する感覚。
テーマとして掲げられているバーチャルとリアルの狭間である意ともとれるが、
リアルで観劇するのとはかけ離れたバーチャルな感覚が強くなった自分にはなんとも興ざめした。
確かに宮沢りえの持つ透明感というところでバーチャル要素が強かった分、そっちの世界へエスケープしちゃってもよかったのだけど、そうではなかった。
交錯する世界感をバーチャルで観るのではなく、交錯する世界感はリアルに存在して、そのリアルはまさに今この時である。
だからそう、これってリアルなんだな。。。

力という意味で無意識に比較対象にしてしまっていた
2003年作オイルの冒頭&結び台詞の印象が深かったせいもあるのかな。

“もしも・・・天国があるというのなら、何故あの世に作るの?この世にないの。
どうして、天国が今ではなくて、アフターなの?
その答えを教えてくれたら信じてもいいよ。あなたのこと・・・
もしもし、もしもし、あれ切れちゃったの切っちゃったの?怒ったの?・・・ごめんなさい。
嘘ついた。ほんとは助けが欲しい。あなたの。聞こえていたら、返事して、神さま”
(オイルより引用)

そう思うと、力の共通項はあるものの投げかける台詞の響くところ、つまりゴールが異なる分、
演出が大分かわってくるわけで、
比喩としてなんらかの存在がいるということでいとも簡単に感情を移入している自分がいるということもわかってきた。

渡辺さんと宇梶さんの絡みも密かに期待してたんだけどな。
でも、カーテンコールの時、二人は隣同士だった。そして宇梶さんが渡辺さん側に若干の距離感覚を保っているのも少し伝わって、、、あ、ちょっとその気持ちわかるなぁ〜なんてこれまたリアル感覚が襲ってきたのでした。

「ロープ」の戯曲買ったことだし、
次回観劇に備えて熟読してみようっと。

▼ロープ戯曲掲載

新潮 2007年 01月号 [雑誌]

新潮 2007年 01月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/12/07
  • メディア: 雑誌


タンゴ・冬の終わりに [演劇]

■タンゴ・冬の終わりに
作: 清水邦夫
演出: 蜷川幸雄
出演:堤真一/常盤貴子/秋山菜津子/段田安則/毬谷友子/高橋洋/月川悠貴/新橋耐子/沢竜二/他
会期:2006年11月4日(土)〜11月29日(水)
場所:Bunkamuraシアターコクーン
http://210.150.126.198/shokai/cocoon/lineup/06_tango/index.html
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□story
本海に面した町の古びた映画館。清村盛は有名な俳優だったが、3年前に突然引退して、妻ぎんとともに生まれ故郷の弟が経営する映画館でひっそりと暮らしている。そこへ、昔の俳優仲間であった名和水尾と彼女の夫、連がやってくる。かつて盛と水尾は激しい恋に燃えていた。訪れた水尾が見たのは、すっかり狂気にとりつかれてしまった男の姿だった…。
(公式サイトより引用)

□impression
あ〜。。もっと早く観にいけ!私!!
この作品、もう2度、3度と観たいくらいでした。
今年のお芝居ランキング(わたしの独断と偏見)の上位に間違いなく食い込むノリです。
そして今年の蜷川作品で一番好きです。
蜷川さんーーーーー、ほんとやられました。
よかったです。

全く、予習&前情報も得ないまま(得ないようにしながら)観にいったわけですが、、、
(もちろん戯曲も読んでない。)
言葉の美しさと、やわらかで繊細な話の展開がもう絶品でした。
日本の劇作家の作品を味わう醍醐味ってこれだよな…と
かなり、これまたかなり!作品に入り込みながら鑑賞できました。
空気感もろともよい作品でした。

堤さん、秋山さん、段田さん、毬谷さんには
作品を観る前から過剰に期待を寄せていたわけですが、
ああ、やはり期待以上でした。

堤さん…完全にノックアウト、その表情、その目にやられた。そして立ち姿は最高美!
秋山さん…トレンチ買おうかな、夜会巻しようかな…大好き〜〜、ねえさん!!
段田さん…さすがにイイ。余裕を感じるおもしろさ。
毬谷さん…もっと声を聞きたかったなぁ。贅沢すぎる脇役。

↑ここ4名がうますぎて、どうしても常盤さんの演技で、遠ーい非現実から
ぽーんと現実に引き戻されるんだな、これが。。
役柄の存在として純粋無垢な感じは悪くなかった。

後半2部は鳥肌がゾゾーーーーっとたちました。
静かな空気感の中、狂気を帯びた盛(堤さん)の発する切迫感が根深く感じられました。
後から思うにもっともっと言葉を感じたかったシーンです。

役者を引退した盛が子ども時代から追い続ける“孔雀”の存在。
劇中、彼がずっと大切にしてきたものの隠喩。

孔雀には醜くなる時期があって、冬の厳しさに耐えられなければあの美しさに出会えない
という台詞があった。
何かに耐え抜いて得られる現実、これだけだと白鳥でもいいじゃん、という話になってしまうが
それ以上に孔雀である必然性を考えるとちょっと深い。
尾羽に目のような模様を持つ孔雀=冷静に現実を見据えることのできなかった数々の空想の象徴
…とも言えるのかな。。
そもそもあの深い緑の羽色が現実を意味するようで、非現実的でもある。
尾羽を開くことを目的に鑑賞する鳥でもある、それって・・・?

ああ、ちょっと神妙になってきたので今日はこのへんで失礼。。

※追記:
本日の客席には吉田鋼太郎さんが!!!!
いやいや〜オーラが出過ぎてました。かっこいい!!!!タイタ〜ス♪


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